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 一年が過ぎ去り、またひとつカレンダーの数字が増えて、新春とはいうが、春の暖かさにはまだ遠く。
 日の光はやわらかく、肌にふんわりと乗ってくるような、そんな季節。
 世間が週末の賑わいで彩られるなか、今日の明日香の予定は完全にフリーだった。
 かといって普段より大幅に朝寝坊をすることもなく、ほんの少し時間を長く寝てすっきりと起床し、普段どおり朝食を取る。
 食事を取りながらふと窓の外を見て、最近姿を現さないとある人物のことを思い出す。
 今日の綺麗に広がる青空のように、そして窓の外の木々を撫ぜる風のように、世界を気の向くままに飛び回っている、付き合いの長い人物のことを。
 そういえば、最近彼がここに顔を見せていない気がする。
――――とはいってもそんなに頻繁に来る人ではないから、さして気にすることではないかもしれないが。
 そう考えながら、朝食を食べ終えて皿を洗うと、彼女はスケジュール帳を開いてこの週末の予定を確認する。
 特に目立ったものはなく、この二日間は穏やかにすごすことができそうだった。
 さて、洗濯物でも片付けてしまおうか。
 そう思ってランドリースペースに向かおうとすると、不意にテーブルの片隅に置いていた携帯電話が着信を告げる。ディスプレイに表示された名前は、彼女の学生時代の旧友だった。

「はい、天上院です」

 通話ボタンを押して電話に出る。
 久方ぶりの旧友の声が告げたのは、同じく親しくしていた別の旧友の結婚の報せだった。

「それはよかったわ。じゃあ、今度あの子が好きなものを一緒に選びに行きましょうか」

 卒業したからといって交流が絶たれるわけではなく、こうしてあまり自分から連絡を取ることがない明日香にも嬉しそうにそういった報せをくれることが、彼女は素直に嬉しかった。
 きっと暫くしたら、本人からも結婚の報せが来るだろう。
 先を越された、明日香さんもそろそろ他の人にしないと乗り遅れちゃいますよー!と不満げに言いつつもやはり嬉しそうな電話先の相手に暖かい気持ちになりながら、贈り物を選びに行くための時間を決めて電話を切る。
 スケジュール帳を開き直して、今日の日付に丸を付けて、青のボールペンで詳細を書き込む。
 相変わらず彼がと珍しく連絡を入れて来る時に使うと決めている、赤い丸印は付かなかったが、これはこれで楽しくなりそうな予定が入ったのでよしとする。
 そしてまた空を見上げて、さっきの友人の『先を越された』という言葉を思い返す。
 ああは言っていたが、きっと彼女もそう遠くない未来には、素敵な相手と人生を共に歩む誓いをすると思っている。
 そう思ってふと、自分の年齢を思い出す。他の人にしないと乗り遅れる、とも彼女に言われた。
 確かにもう知り合いは数人結婚していて、自分自身も世間一般で言う結婚適齢期なのだ。だからなんだ、と言われてしまえばそれまでだが、一度浮かんでしまうと少し気になってしまうものである。
 相手がいない、わけではないと思う。
 けれど、その相手がそういうことを考えているようには到底思えない。かといって自分から聞くのも気が引ける。
――――まあいいか、無理にしたって幸せになれるものでもないし。
 浮かんでくるもやもやした気持ちをそう振り払って、彼女は当初の予定だった洗濯に取り掛かることにした。

 一方その頃、自由気ままに旅を続けている青年、遊城十代はとあるジュエリーショップで悩んでいた。
 上品な宝石類の光が、これまた上品に並んでいる店内では自分が浮いているような気がして落ち着かない。
 それでも彼なりにすこし真剣に選ぶものだからと、あまり縁のなかったスーツに袖を通している。
 少し必要になったから、と友人である万丈目に頼んでこの服を取り寄せたのは最近だった。電話先で彼は何かを察したらしく、遅すぎる!いつまで彼女を待たせる気だ!と怒られてしまった。きっと他の知り合いにも同じことを言われるだろうということは解っている。
 ヨハンにこの話をしたときは、お前が結婚なんてまた何か異変でも起きるんじゃないか?なんて言われてしまって、自分が周りにどういう風に見られているかも十分理解していた。

 そんな彼が突然彼女と一緒になろうと思ったのは、この前偶然旅先で見かけた結婚式。
 綺麗な教会で聞こえる祝福の声。そしてその中心で微笑む二人の男女。
 女性はもとより綺麗だったのかもしれないが、白いドレスに身を包んで、幸せそうに笑っているその姿が凄く印象的だった。
 自分と結婚なんて、しても幸せになれないのではないかと思っていたし、今がその時期ではないとも思っていた。
 こうやって気ままに自分が旅をしている間に、他の人間を好きになっていたとしても、それで彼女が幸せになれるならそれでいいと思っていたのだ。
 いや、むしろそれを望んでいた気持ちの方が大きかったのかもしれない。
 それでも彼女は顔を出せば当然のような顔をして待っていてくれるし、旅に出る自分を送り出してくれる。
 実は友人経由で、彼女が他の男性に告白されたという話も耳にしたことがある。でもそれも断ったと聞いた。
 出会ってからもう何年経ったかもそろそろ忘れそうで、その半分以上を離れて生きているのに、それでも変わらず待っていてくれている。

 結婚をしたところで、自分が旅を終わらせることはないだろうと思う。
 けれど、このまま自分を待ち続けてずっとずっとドレスも着せることもできずに彼女の人生を終わらせてしまっていいのか、と考えた。
 天上院明日香という人間は、周りが思ったよりも、ずっと綺麗なものが好きで、可愛いものが好きで、きっとドレスにだって憧れる、普通の女性だということを十代は知っている。

 だから、とびっきり彼女に似合う指輪を持って、彼女を迎えにいこうと決めたのだ。

 とはいっても、普段女性のアクセサリーなど頻繁に選ぶものではない。ましてや今回選ぶのは普通の指輪ではない、一大決心の気持ちを届ける指輪である。
 あまりにごちゃごちゃしたものはきっと彼女には似合わないし、かといってシンプルすぎるのも嫌だった。
 予算は確保しているから問題はないけれど、指輪のデザインが豊富すぎて悩んでしまう。あれでもない、これでもないと悩んでいると、ひとつの指輪を誰かが指差した。

「彼女には君がいま見てるやつより、これが似合うんじゃないかい?」

 言葉と同時にふわふわと、十代の肩の横から顔を出したユベルは面白そうに、だけど優しく笑っている。
 その指が示した指輪を見てみると、リング全体に小さいストーンが並び、そしてその中心にはダイヤが凛と光っていた。ダイヤの大きさも程よく、大きすぎないため、私生活で邪魔にもならなさそうだ。
 シンプル過ぎず、けれども派手すぎず。
 そんなこの指輪を彼女の指に。想像しただけで似合うことは簡単にわかってしまう。

「ああ、これがいいな。これにする」

 そうと決まれば、と彼が店員を呼ぶと、ユベルは満足気な顔をした。
 十代が店員に指輪の説明を聞くと、どうやらこのタイプのリングはエタニティタイプというものらしく、永遠の愛を象徴するものらしい。
 そういうことに疎い十代ではあったが、話を聞いてますますこれにしよう、という気持ちが強くなっていく。

 永遠の愛、というものを誓うには自分は少々役不足かもしれない。
 それでもいままで待たせた分、それぐらいの宣言をしたっていいのではないか。口では言えなくても、せめて指輪だけでも証として残してもいいだろう。
 そんな思いを深くしながら、会計を済ませて店を出た。

「にしても珍しいな、ユベル」
「何がだい?」
「お前なら怒ってああだこうだ言いながら、全力で結婚を止めにかかりそうだったからさ」

 過去の出来事を振り返ると、この精霊の十代に対する愛は周りを排除する勢いだった時期もあり、またそれ以降も彼以外には興味がないし、自分から十代を奪うもの、奪おうとするものに対しては敵意を見せていた。
 それが今回は自分から婚約指輪に対するアドバイスまでしているのである。
 珍しいとしか言えないのだ。

 そんな十代の考えを察したのか、ユベルは彼から目を逸らした。

「別に…ただ、結婚するとなると、そのうちキミの子どもも生まれるだろう?」
「ああ、いつになるかはわかんないけど、たぶんな」
「……ボクは、これから先ずっとキミと共にある。これから長い時間ずっと。その長い時間の中で、キミの子孫をキミと、キミが愛する彼女と見守りながら過ごすのも悪くないって思っただけさ」

 相変わらずこちらは向かないが、その表情が穏やかであることは十代にも解った。
 かつて、彼とユベルが超融合をした影響か、はたまた共に過ごして考えが変わってきているのか。
 どちらかは解らない。だが、少なくとも自分が結婚することは祝福されている。

「……ありがとうユベル。俺とお前はこれからもずっと大事なパートナーだ」
「当然だよ。ほら、指輪も用意したんだ。すぐにでも彼女のところへいくんだろう?」
「ああ。さーて、空港に急ぐか!チケット取っておいてよかったぜ」

 用意は整った。あとはもう、勢いと気合でどうにかなるはずだ。
 たとえどんな結果になろうと、まずこの気持ちを彼女に示さなければ始まらない。
 そう覚悟を決めて、十代は空港への道を走り出した。


 それは、友人の結婚祝いのプレゼント選びも終わりさあ夕飯でも作ろうと、明日香がリビングのソファーから腰を上げた時だった。
 玄関から来客を告げる機械音が鳴ったのだ。
 今日はもう来客の予定もないし、連絡も来ていない。
 そこから察するに、朝ちょうど思い出していた彼だろうということは想像が付いた。
 念のためドアの小さな窓から覗いて確認すると、やはり思ったとおりの人物がそこに立っている。相変わらず連絡もいれずにいきなり来るんだから、と呆れながら彼を招き入れるためにドアを開く。

「あなたって、本当に毎回連絡しないわよね」
「サプライズ的で面白いかなって思ってさ」
「毎回いきなり食事を作る量が増えるこっちの身にもなってほしいわ。……とりあえず、上がって頂戴」

 明日香が彼を招きいれようと声をかけると、ああ、と返事は返ってきたものの、目の前の人物はそこから動こうとしない。
 いつもならすぐに家に上がるのに、と不思議に思うが、いつもと少し様子が違う十代を、もう少し待つことにした。
 

 

 

 言ってしまえ、ここまで来たのに何をためらう必要があるのか。
 そう解っているのに、やはりいざ本人を目の前にすると緊張してしまってうまく言葉が出てこない。
 あれを言おう、いや、これを言おう。そんな風に言葉を頭でまとめてみるもののうまく文章にならない。
 そしてなにより、やはり面と向かって言うのは照れくさくて仕方ないのだ。
 どうしたものか、と思いつつ指で頬をかいて考えてみる。
――――ごちゃごちゃ考えてても進まない。言いたいことはひとつだ。
 そう心に覚悟を決めて、ひとつ深呼吸する。
 そして、指輪のケースを開き、指輪がよく見えるように、彼女に差し出すようにして、深く頭を下げる。

「天上院明日香さん、俺と結婚してください」

 突然のことに、彼女の思考回路は一瞬フリーズする。
 風の吹くまま気の向くまま、誰に対してもそれは変わらず、自分に対してもそうだったはずの彼が、今こうして自分になぜか指輪を差し出している。
 状況を理解するにはあまりにも驚く要素が多すぎて、時間がかかってしまう。
 それでも、少しずつ状況を把握して、自分がプロポーズされているとわかった明日香の目からは涙が伝い始めた。

「……これを受けたら、もっとこっちに戻ってきてくれる?」
「ああ」
「もう少し、連絡してくれる回数も、増える…?」
「努力する」
「……ねえ、私、あなたが思うより我侭よ?」
「うん」
「あなたや他の人が思うより、きっと、すごく、我侭だと思うわ」
「知ってるよ、全部」

 十代は、明日香の問いかけ全てを逃すことなく、漏らすことなく、しっかりと答えた。
 彼女が実は寂しがりやであることも、本当はもっと我侭であることも知っていた。
 それでも、こうしてふらふらと気の向くままに旅をしている自分に比べれば、それは些細なことだと思う。それが嫌だと思っていたら、いまこうして指輪を彼女に差し出すことなんてしていないのだ。
 彼女が自分にそうしてくれているように、自分もその全てを受け入れて生きていきたい。

 そう思っていると、不意に明日香の体が十代の腕の中に倒れこんでくる。

「こんなときまであなたは突然なのね」

 泣いている顔をこれ以上見られたくないと言う様に、彼女は十代の胸にぎゅっと顔を押し付けた。
 十代は幼い子をあやすように、ぽんぽんとその背中を優しく叩く。

「返事、聞いてもいいか」

 暫くそうやって、彼女の涙が少し引いたとき、十代は返事の催促をする。
 返事をしっかり聞くまでは、いくら十代でも楽観的にはなれなかった。

「解ってるのに、聞くのね」
「いくら俺でも、こういうときはしっかり聞かないと不安なんだよ」

 そう言われて、明日香は十代の腕の中からちらり、と彼の表情を見る。
 笑ってはいるけど、それは少し不安げで。
 ああ、彼でもこんな表情をするのか、と彼女は思う。
 それと同時に、こんな表情をさせているのが自分である、という不思議な満足感も覚えていた。

「幸せにしてくれないと、許さないから」
「……それは了承ってことでいいんですかね明日香さん」
「そうよ」

 頑張って返事をしてみるけれど、やはり照れくさくて、少し彼が憎らしく思えてしまって。
 背中に回した腕にぐっと力をこめると、痛い痛いと小さく悲鳴が聞こえた。
 そうやって玄関先でじゃれあっていると、十代の腹部から空腹を知らせる音が鳴る。

「あなたって、お腹まで空気が読めないのね」
「仕方ねーだろ!緊張して何も食べてなかったんだよ!」

 おにぎりでも食べてくるんだった、と恥ずかしそうにする十代を見て、明日香がくすくすと笑うと、次第に彼もおかしくなって笑い出した。

「そういえば近くに新しくできたレストラン、エビフライが美味しいらしいわよ」
「本当か?じゃあ夕飯はそこに行こうぜ。明日香が準備してる間に俺も着替えとか済ませるから」

 思えば軽く30分ほどは玄関先でじゃれていたのだ。体は冷えているし、準備がてらに家の中で温まらなければ、風邪を引いてしまいそうだった。

「あなたはまずシャワーから浴びた方がいいわね。私はもうお風呂は済ませてしまったし」
「んー、そうだな。久々に二人で出かけるし、移動も多かったしな」

 抱きしめていた体を離す。少し名残惜しかったが、それを察したかのように、家の中まで十代は明日香の手を握って歩いていた。

 しばらくして、二人は久しぶりに手を繋ぎながらレストランへと、夜道を歩いていた。
 その指に添えられた指輪を、冬の優しい月明かりにそっと光らせながら。

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